第95話 農業ことはじめ(5)−有機農業
自分で農業に携わって初めて知ったのですが、農協から営農カレンダーなるものが配布されます。主要作物別に実に要領良くまとめられていて、
このカレンダー通りに作業を行えば、私のような素人でもそこそこの収量を上げられるようになっております。
水稲、小麦、大豆などの主要作物は集団で行うことが多いので、自分だけが時期をずらしたり病害虫防除をしないという訳には参りません。何故なら他に迷惑がかかるからです。
そういった意味において、営農カレンダーは有効に作用します。少なくともこの通りに作業していれば文句を言われることはありませんし、共済(病害虫の発生などで
予定収量が確保できなかった場合の補償)の対象となるでしょう。
例えば、大豆の営農カレンダーでは、土壌改良の着手時期とその要点(資材名とその10アール当たりの施用量)、耕起時期、栽植様式(畝幅、条間、株間、1株本数)、
種子消毒(薬剤名、使用量、方法)、除草防除・病害虫防除(薬剤名、使用量、方法)、・・・、収穫(刈り取り、脱穀)とこと細かに図表やイラストを用いてわかりやすく
作られております。
このように作業標準化すれば、確かに一定以上の品質及び収量を確保することができるのでしょう。そして、この標準化は、これまでの栽培実績と研究者ないしは
研究機関による最新の研究成果に則って行われたものでしょう。
しかし、これでは農家は単なる農作業マシーンと異なることはありません。何も考えずにただただ営農カレンダーに書かれている通り作業しなさいといわれているに等しいのです。
何も考えない農業、言われるがままに行われる農業になってしまいます。その結果現在の農業があるのです。これが良い農業の姿と言えるのでしょうか?
一枚一枚の農地はそれぞれ条件が異なるものです。そして気候も毎年異なりますし、作物の生育状況も絶えず変化していることでしょう。
しかし、これらの状況を的確に捉え、それに対応していくのは並大抵の知識や経験ではできないでしょう。だから標準化した方が望ましいという結論なのでしょうか?
へそ曲がりの私は、何となくこのような農業のやり方に違和感を持っております。少なくともこの通りにしなさいと言われても素直に従いたくはありません。
自分の頭で考えて、自分が行っていることを理解したいのです。営農カレンダーに書いてある方法がベストなのかを疑いつつ、もっと良い方法がないのか探求してみたいのです。
農業に対する知識や経験が乏しい私が何を言おうと負け犬の遠吠えとしか聞こえません。そのためには理論武装し、実績をあげるしかありません。
色々な書籍で学び、自分なりに実践しつつあります。
そんな中で出会った書籍が次のものです。
エアハルト・ヘニッヒ 著=中村英司 訳
「生きている土壌 腐植と熟土の生成と働き」
(日本有機農業研究会発行・農山漁村文化協会発売)
今まで疑問に思っていた事柄が次々にクリアになりつつあります。素人ながら漠然と考えていたことについて科学的根拠を与えてくれます。
著者の主張全てに同意するものではありませんし、考え方に違和感を憶える部分もありますが、少なくとも土壌に関する考え方については大いに共感するところです。
この本を土壌改良のバイブルとして研究してみたいと思っております。
営農カレンダー通りに栽培すれば、化学肥料や農薬を必要以上に使用してしまうことになるでしょう。化学肥料や農薬を使わない農業を実現することを目指して頑張って
行きたいと考えておりますが、前述の通り農業は一人でできないことも厳然たる事実です。
消費者の中で有機農業を理解していただける方は増加しているでしょうし、それに繋がる有機農家も増加しています。しかし、それだけでは農家の置かれた状況は何ら変わっていかないと思います。
多くの農家の考えが変わることが求められているように思います。そのためには有機農業を廻りの農家に認知してもらう必要があります。
少なくとも有機農業が、近隣の農家に害悪とならないことを理解してもらうことが大切でしょう。そしてできることなら有機農業で、
現在の品質・収量を確保できるという実績が得られればこれに越したことはありません。私が実現できないにしても全国の先進的な取り組みをされている有機農家
が実現してくれると思っております。
2010/07/19新規
「第93話 農業ことはじめ(4)」 「第97話 農業ことはじめ(6)」
|