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第7話 個人的良心と組織

 とかく組織の中にいると個人は埋没してしまいがちになります。私自身も新人時代や二足の草鞋時代を含めて長期間にわたってサラリーマン生活をしてきました。
しかし少しだけ異なるのが短期間とはいえ自由業時代を途中で経験していることでしょうか。

 今回のテーマは、個人の良心が組織の中にあって機能するかといったことにあります。今でこそコンプライアンスの重要性が認識されつつあります。
しかしながら、相変わらず企業不祥事の続発は止まるところを知りません。
 モラルの低下が叫ばれてから久しいものがありますが、一向に改善してきたという話を聞いたことがありません。

 コンプライアンスとモラルの関係ですが、法令や規則を守っていればモラルに反するようなことをやっても責任を問われないといった考えもあろうかと思います。
しかし、法的責任は問われないにしても道徳的に非難されることは往々にしてあります。
今回の「船場吉兆」の件のように、食品衛生法等の関連法規に取締る規定が無ければ法的問題は起こりませんが、道徳的な非難は避けられないところでしょう。
これは「モッタイナイ」を履き違えた行いです。以前読んだ老舗料亭の板長さんへのインタビュー記事でしたが「食材のきれっぱしなどは捨ててしまわずに活用すること、それが料理人の心だ。」 といったことでした。「捨てる食材を少なくすることは料理人の腕である。」とも言い切っておられました。とても含蓄のある言葉です。

 「船場吉兆」の中にも間違いなくモラルの高い人たちがいることと思います。前回の発覚時に内部告発があったことがそのことを示唆しております。 利益優先の企業論理との狭間で個人的良心との戦いがあるのです。
 しかしながら、個々人が持つ高いモラルが組織の中でどのように扱われるのでしょう。
 一般論として、個人に対して経営・管理者からの圧力となってきます。会社の方針・決定に従うように促されます。従わない場合には、何らかのペナルティーが課されます。 被用者にとって最悪の事態は解雇という形になってあらわれるでしょう。
 このようなリスクを犯してまで抵抗する被用者が一体どれほどいるのでしょうか。

 概ね、組織に属する以上は、自分の意思に反することであっても組織の意思に従うこととなります。

 営利企業は利益をあげることを目的としていることは言うまでもないことです。ある意味、営利企業の組織の構成員である以上は企業利益に貢献することを 前提としてその組織に属しているのです。従って、個人のモラルに反することでもその個人の受忍限度のなかで受け入れざるを得ないのです。
 どこまでが受忍の限界かといったときに個人的良心と関わってくると思います。 個人の良心に従うことが、会社の方針や決定に反しても社会的モラルに合致させることが優先すれば内部告発などの行動に繋がっていくことでしょう。
そしてそういった良心に従った行動を社会が受け入れ、謂れの無い非難、中傷、不利益から守り抜く姿勢と制度の確立が大切だと思います。
 

 そもそも会社は奇麗事だけではやってけないから少々モラルに反しても利益が優先するといった考えが跋扈するものだということを前提として物事を捉えていく必要があります。
企業の構成員である以上、公正中立な立場をとることは難しいのです。私自身も第4話 省エネ提案書の不思議で書いたように何度も 「ふかし」の現場を経験してきました。安全率の許容の範囲ならば何度か認めたこともあります。
しかしこれ以上譲れない一線は引いてきたつもりです。

 会社の方針に迎合する方が楽ですし、個人にとっても利益が大きいと思います。
しかしながら短期的利益のためにする行為が同時に会社の存続を左右するような種を蒔く行為となっているかも知れないことを忘れてはならないと思います。
そして最終的には社会から非難を浴びて退場を余儀なくされる結果となることは多くの事例が示すところです。


2008/05/04新規

2009/02/15更新


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