第10話 大空への憧れ(1)
多くの子供が一度は憧れを持つように私もご多分に漏れずパイロットになるのが夢でした。そのために航空大学校を志望しておりました。
ところが高2の夏休み位から急に黒板の文字が読みづらくなり、眼科で診てもらったところ仮性近視を通り越して、
完全に近視だからメガネをかけるようにとの宣告をいきなり受けてしまいました。
春の健康診断の時の検診では、両眼とも2.0でしたから全くもって寝耳に水といった感じでした。
パイロット志望者にとって、視力低下は死刑宣告にも等しいことでした。当時の受験資格として裸眼で1.0以上といった基準がありましたので、
パイロットへの道は諦めざるを得ませんでした。
どうしても諦めきれず航空管制官の養成機関である航空保安大学校を検討したこともあります。しかし、どう考えても管制官となる適性を自分に見出すことができませんでした。
航空工学科が設置してある大学は、有名国立大学か東京の私立大学しかありません。私の学力ではどう逆立ちしても合格しそうにありませんし、私立には家庭の事情で通うことなんてできません。
思案がつきかねていたころ、近くの国立大学の赤本を調べていた時、サークル紹介の中に航空部というのを発見しました。いわゆるグライダー部だなとあたりをつけました。
これなら夢が実現できるぞと佐賀大学を受験したのでした。物理学科を選んだのは、流体力学とかできるし、航空工学の次に飛行機関係に近いかなと思ったからに過ぎません。
入学式や学科のオリエンテーションを終え、サークルへの介入で声をかけられるのを無視して、ひたすら航空部のありかを尋ねたのであります。
しかしながら航空部なんてありもしませんでした。赤本の誤植で元々無かったのか、情報が古かったのか赤本を信じた私が愚かだったというしかありません。
何のためにこの大学に入ったのか、入学早々挫折を味わってしまったのです。
それからの4年間は、空とは全く無縁の世界で過ごすことになりました。楽しみにしていた流体力学は、担当の先生が定年退官を迎えられ、
結局何も教わらないに等しい状況で卒業してしまいました。
このような挫折の中でも物理という学問は私の性に合っていたのか、それなりに勉学に勤しんでおりました。特にミクロの世界を扱う量子力学の世界にのめり込んでいきました。
この4年間を振り返ってみると我が人生に大きな影響を与えております。物理学的思考とでもいえるのでしょうか、そういったものを身に付けることができたのが大いなる収穫でありました。
大学卒業後は、東京のとあるソフトウエアハウスに就職しました。その会社は、宇宙開発関連事業もしており、会社パンフにはロケットの打ち上げシーンが掲載してあって、
限りなく興味をそそられました。
新人研修後に配属先が決定されます。辞令には「宇宙開発グループ 技術本部 第2技術部」となっておりました。
喜び勇んで配属先へ行ったことは言うまでもないことです。
しかし、人生とはそう甘くは出来ていないようです。宇宙開発関連の仕事は、主に第1技術部で行っており、第2技術部は通信制御関連の仕事がメインであったのでした。
いっそのこと全く関連のない業務であれば諦めもつこうというものです。これでは蛇の生殺しみたいなものです。隣の部署では、面白そうな仕事の話が飛び交っているのを
尻目に、宇宙開発グループとは名ばかりで、全く宇宙と関係ない仕事を黙々とこなす辛さといったら格別のものがありました。
同じグループにいるのだから、その内に移動や何かでチャンスが巡ってくるだろうと微かな期待を持ち続けておりましたが、結局見事に裏切られる結果となったのでありました。
随分とわき道にそれてしまいました。空のことに話を戻したいと思います。
当時、同じ部署の先輩でハンググライダーをやっている方がいらっしゃいました。色々と話を聞いているうちに、またもや大空への憧れが頭をもたげました。
しかし、詳しく話を聞くうちかなり危険性が高く、元来運動神経が鈍い私ではとても楽しむところまではいけないだろうとの結論に達し、あえなく再び挫折することとなってしまいました。
今思い返せば、その先輩が私の本気度を試したのではないかと考えられる節があります。人から言われて素直に従う自分が未だ残っていたのでした。
それからしばらくは空とは疎遠になっておりました。たまに航空気象の本を読んだり、雑誌を眺めたりした程度ででした。
そんな時、フライトシミュレーター(マイクロソフト)と出会いました。当時会社でPC98シリーズを使っており、この上で動作することから早速購入してみました。
動かしてみるとなかなかリアルで、本当に空を飛んでいるような気になります。ただ、残念なのは操縦桿が使えず(AT機は操縦桿に対応してました)、キーボードから操作するしかありませんでした。
そこで新製品企画に操縦桿の操作をキーボード操作に変換するアダプターを提案しました。趣味と実益を兼ねたといえば聞こえがいいですが、公私混同もはなはだしいことであったと思います。
いよいよ開発が始まり、当初は簡単にできるものと考えていたのですが、この開発は実に大変なものでした。
操縦桿の微妙な動きをキーボード操作に置き換える訳ですから、とてもAT機の操縦桿操作には及びません。
試行錯誤を重ねるうち自分ではとても満足できなかったのですが、何とか実用になるレベルに達したので製品化することになりました。
販売後の製品アンケート評価は分かれました。「よくぞ作ってくれた!」、「格段と操作性がアップした」などとお褒めの言葉をいただくのもあれば、
「こんなもん使い物にならん!」、「AT機に比べればカクカクだ」といったお叱りの言葉もいただきました。
これまでは工場向けの製品がほとんどでしたので、多くのユーザーからアンケートが帰ってきたのは初めてのことでした。
そして自分が欲する製品を世に出せたという幸せ(製品の市場での評価は別として)を噛み締めることができた瞬間でした。
この製品に対するアンケート評価は総じて好意的でしたが、果たしてサイレントマジョリティーの評価はどうだったのでしょうか?
それから数年たったころ、何気にインターネットを検索していると「パラグライダー」なるものがあることを知りました。
かなり手軽に飛べるらしく、再び大空への憧れに火がついてしまいました。早速、「阿蘇パラグライダースクール」に体験飛行を申込みました。
生まれて初めてのフライト、それも単独フライトでした。高度差50mを無線誘導を頼りに滑空したとき、何とも言えぬ感覚を覚えました。
その場でスクールに入校し練習生として練習に励んだのでありました。
それ以来、7年ほどパラグライダーで楽しませていただきました。しかし何かしらの違和感を覚えたのです。
確かにパラグライダーという翼を手に入れ、大空への憧れは達成したかに思えます。
しかし、自分が本当にあこがれていたのは飛行機であってグライダーではないことに思い至りました。
それ以来、自家用操縦士免許取得を目指して密かにチャンスを狙っております。
しかしながら未だにフライトシミュレータで練習する域を脱しておりません。実機の操縦は何時になることやら。
大空への憧れは永遠の片思いに終わってしまうのでしょうか。
{水色のフォント部分は訂正です。(本当は削除したいのですが、あえて恥をさらすために残しておきます。)}
余談ですが、日本にはパイロット志望者向けの書籍が少ないように思います。いわゆる「なるにはブック」的なものはありますが、
もう少し突っ込んだ内容のものが見当たりません。
ところが飛行機が身近なアメリカには、適切な書籍があります。
お勧めの書籍を2冊あげておきますので、興味のある方は是非お読みください。
ボルフガング・ランゲビーシュ著(小路 浩史訳)「スティックアンドラダー」プレアデス出版
Wolfgang Langewiesche "STICK AND RUDDER An Explanation of the Art of Flying" McGraw-Hill Book Company
−今までに読んだ操縦法の書籍の中では最高です。訳に疑問があったので原著も求めました。
Pat Willits "PRIVATE PILOT MANUAL" JEPPESEN Sandersen Training Products
−いわゆる教則本にあたります。飛行の歴史、航空機の構造、飛行理論、航法、航空法規、航空気象等が網羅されています。写真やイラストが多く眺めているだけでも楽しい本です。
私の調べる能力が低かったということです。ただ前掲の書籍の値打ちには変わりはありません。
参考までに私が良く利用しているショップをご紹介しておきます。
航空デパート・ホーブン(書籍からグッズまで色々揃っております。当方は田舎ですから通販は重宝しております。)
阿蘇外輪山(兜岩)よりテイクオフ、内輪山方面を望む(地上高300m?からの空撮写真)
阿蘇 夜峰エリア ランディング場付近
2008/05/06新規
2009/06/08更新
「第24話 大空への憧れ(2)」
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