第113話 ケチ電のどこが悪い!?
行き過ぎた節電をケチ電と揶揄する向きもあるようです。ケチ電のどこが悪いのでしょうか?
大辞泉によりますとケチとは「むやみに金品を惜しむこと。また、そういう人や、そのさま。」ということのようです。
巷間言われている「ケチ電」とは何を指しているかは色々とあるようですが、その中でも説得力がありそうな定義として「節電とは無駄な電力を使わない事であり、
ケチ電とは必要な電力の消費をおさえる事である。」といったことでしょうか。
しかし、この定義に従えば、無駄な電力と必要な電力を区別しなければ、節電とケチ電の区別がつきません。結局は言葉を置き換えただけでした。
それにしても妙に説得力がありますね。
考えるに必要な電力と無駄な電力のボーダーはかなり曖昧かつ相対的なものだと思われます。そして個人の価値観に関わってきます。
例えば、節水のため風呂の残り湯を洗濯に使います。さて残り湯を洗濯機に移すのに水中ポンプを使いました。節水すれば水道代が節約できますが、電気代がかかります。
さてどっちがお得でしょうか?
これは金額換算しましたが、水道水を使うにもエネルギーが必要ですし、風呂の水を洗濯機に移すのにもエネルギーが必要です。エネルギー的に考えればどちらが省エネでしょうか?
このように尺度が異なれば考え方も異なってきます。一歩進めて、バケツで風呂の残り湯を洗濯機に移せば、ポンプの電気代(エネルギー)は不要です。しかし、このためには
人力という新たな動力源が必要です。人間もエネルギーを消費しますし、時間も掛かります。
もう一つ例を挙げます。エコアイスやエコキュートという製品をご存知だと思います。これらの製品は安い夜間電力を使用して高い昼間の電力を使用しないようにするものです。
これによって大幅なコストダウンが可能です。しかしエネルギー的にみれば増エネ製品に他なりません。夜間に沸かしたお湯は使う時には幾分か冷めてます。またそのまま電力
を使えば良いものを一旦氷にして、氷から冷気を作ると二回エネルギー変換しなければなりません。エネルギー変換する度にエネルギーロスが発生してしまいます。
更に言えば、電力の場合には、発電・送電・消費の各段階でエネルギーロスが発生してしまいます。ですからお湯を沸かすにはガスや石油ボイラーの方が効率的です。
ただ電気の方がコストが安かったから普及してきたのです。このような製品が本来のケチの意味に近い「ケチ電」ではないかと思ってしまいます。
ついでにもう一つ、電力不足対策製品として充電機能付きテレビなるものが発売されているようです。これも夜間電力で充電し、昼間にテレビ視聴しようとするものです。
これもエコアイスやエコキュートと同じピークシフト製品です。元々は電力事情が悪く何時停電が起こるかわからないような地域向けに開発したもののようです。
電力不足対策には確かに効果がありそうですが、省エネの観点からするとどうもいただけません。充電時と放電時にエネルギーロスが発生します。
そこまでして見なければならないテレビ番組が一体どれほどあるのでしょうか?本当に見たい番組だけ見るようにした方が良いように思いますが?
現代社会において便利になったということは、元々人手で行っていたものが機械を含む他人任せに出来るようになり、その分時間が浮いて自由にできる時間が増えたことを
指すのではないでしょうか。その浮いた時間を何に振り向けるか、それも個人の価値観にかかっていますが・・・。
私などはケチ電(ケチエネ)を実行している方だと思っております。例えば、畑の潅水用に1200リットルのタンク二基(捨ててあったものの再利用)に雨水を溜めるように
しております。水中ポンプも持っておりますので、やろうと思えばスプリンクラーで自動散水もできます。しかし、10リットルのジョウロで人力水かけをしております。
これは作物の生育状況を観察するためでもありますが、何より健康のためです。10リットルの水は10kgの重さがあります。これを何十回も運んで水かけしなければ
なりません。結構な重労働です。スイッチオンで済ませれば便利は便利でしょうが、健康のためと思えば苦になりません。
以前は健康のためにとジョギングをしておりました。それも10kmも離れたジョギングコースに車で通っておりました。何となく本末転倒な気がしていたのですが、それが
私のライフスタイルだと思っていたのです。しかし、少し見方・考え方を変えれば身体を動かす機会は日常生活の中に沢山あったのです。
このようなことはあくまでも個人・趣味レベルの話です。社会・仕事レベルの話になると事情は異なります。
しかし、今般の電力不足によって石油危機以来といわれるほど省エネ・節電意識が高まっております。これを期にライフスタイルを見直すチャンスかも知れません。
ただ、押し付けの省エネ・節電は勘弁してもらいたいものです。あくまでも自発的意思や創意工夫に拠るものであることを願います。
<2013/02/24 追記>
世の中には「馬鹿な節電と賢い節電」なるものがあるそうです。さしずめ私がやっていることは、その人から見れば「馬鹿な節電」になるのでしょう。
このページや「時間帯別料金(ピークシフトプラン)と太陽光発電」でも書いておりますように、
押し付けではなく自分の意思で行っていることを「馬鹿な節電」などといった言葉で一括りにしないでいただきたいものです。
「馬鹿な節電」とは、そもそもやっても意味が無いことをやっていることを指しているはずです。意味があることに対して「馬鹿な節電」呼ばわりは如何なものでしょう。
この御仁は、さぞや「賢い節電」なるものを実行なさっているのでしょうね。実際どのようなことを行って、どのような実績を挙げてこられたのでしょうか。
そして、この御仁の主張が、どれほどこの社会に取り入れられ、そしてどれほど効果を挙げてきたのでしょうか。
ここのテーマは、「ケチ電のどこが悪い」でしたが、敢えて「馬鹿な節電のどこが悪い」と言い換えましょう。
2011/06/18新規
2013/02/24更新
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